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SUPER CiTY SHANGHAi ビジネス
2008・8
上海日本民間人グループも立ち上がる、支援への輪
中国人の大団結に、中国在住の日本人も積極的な活動を行っている。上海で日本人女性を中心に教育支援を行っているグループ「互人多(フレンド)」の活動がその一例だ。
同組織は一年を通じて2回のコンサート、そして5~6回のイベントを行っている。互人多の元々の活動目的は中国経済困難区のこどもたちの教育支援だが、今回のような大災害があったとき(SARSなど)にはそのための支援イベントも開催している。今回は6月のイベントを特別にすべて地震復興支援のためのものとし、イベントを企画、開催、そこで集まった義捐金を被災地救援資金へと充てている。同組織の代表を務めている進士薫さんは「四川省地震の知らせに“何か協力できたら”と思いを持った日本人たちの気持ちをまとめることが、私たち互人多に出来ることの一つではないかと考え、四川地震のための募金を呼びかけました」と語る。
「投資セミナー」においても、そんな彼女たちの思いと「縁のある中国で草の根ベースの交流ができれば」という拓地投資諮[言旬](上海)有限公司の武内隆明氏の考えが重なり実現したものだ。
「投資セミナー」においては当初の予想を上回る40人以上が参加。最終的には6290元の支援金を集めることができた。先立つ6月2日の「アッセンデルフトペインティング講座」、17日の「ワインテイスティングセミナー」、さらにそれ以外の活動を通じて集まった金額は4万元に上った。
この集まった義捐金は、カバンや文房具や運道具などの支援物資を購入し、互人多のスタッフと学生ボランティア計9人が直接現地に持って行くという。受け渡し先は上海の希望工程が支援して建てた、現在は309人の生徒が仮設校舎で学ぶ天馬鎮の楽民小学校。日程は未定ながら「夏休みになる前には向かう」と進士代表も力強く語る。
今後は「四川省地震」に特化したイベントは企画していないものの、「社会の状況に合わせ、ほんの小さな力ではあるが、必要なところに必要な支援をしたい」と語る。
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SUPER CiTY SHANGHAi
2008・8
互人多の被災地支援物資 四川省の子どもたちの手に
上海で活躍するボランティアグループ「互人多」のスタッフら9人が7月15日、四川大地震の被害を受けた都江堰市の楽民小学校を訪れ、子どもたちに通学かばん、文房具、運道具、菓子などの支援物資を届けた。これらの物資はCHINAビジネス8月号で紹介したチャリティイベントで集まった義捐金で購入したもの。
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SUPER
CITY 2008年4月号
必要なくなれば、なくなったっていい 進士薫さん 教育支援団体「互人多」事務局メンバー
Profile 東京都出身。93年よりご主人の転勤で上海へ。97年に、中国の子どもたちのために学校の建設資金を援助する支援団体「互人多」を設立。5人の設立メンバーの1人として現在も教育支援を続けている。普段の活動は手芸品の作成や料理教室など交流イベントが中心だが、バザーなどを通じて得た利益や企業からの寄付金を中国の社会公益事業を通じて援助、援助総額は70万元を越える。イギリス・日本の大学に通う2児の母。クリスチャン。
これまでの支援を通じて、広西壮族自治区などに『互人多希望小学校』を開校することができましたが、実際のところは自分たちが建てた学校だなんて考えていないんですよ。皆さんのお金をただ代表として寄付したということですし、みんなで手芸品を作ったり、楽しいことをしたくて集まっているだけなんです。学校はあくまでも結果であり、楽しいと思ってやってきたことが日常になって、それが形として現れているだけだと思っています。
メンバーは女性が中心ですが、純粋に援助を考える人から、友達を探そうと参加する人、手芸に興味がある人などさまざまですね。10年続いてきた理由ですか?う~ん、自分でもわからないんです。私は互人多ってアメーバに似ているかなって思います。アメーバって枠はあるけれども、形は自由ですよね。だから年々活動が違ったっていいじゃないですか。その時々に合った、メンバーが得意なものを続けていければいいんじゃないでしょうか。
ボランティアをするというとき、福祉をしよう、ボランティアをしようという熱意をもっと持ったほうがいいかなとも思うんですが、私自身はこの環境や仲間や時が、与えられているからやっているという感じなので、私が互人多に必要なくなれば、参加する道は閉ざされるだろうし、互人多も必要なくなればなくなったっていいかもしれない。それに、もし私たちのような団体が必要なくなれば、中国の子どもたちに満足できる教育の環境が与えられていることになりますから。与えられている限りは一所懸命やりたいと思っていますが、私は組織を維持しなければと強く意識するよりも、何事にも固執しない自分でいたいと思っています。これからも、お互いに上海での生活をサポートしあったり、みんなで楽しみながら活動できればいいですね。

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北九州市立生涯学習総合センター まいなび21 2008年(平成20年)1月1日 第16号
互人多
中国の大都市には日本語のフリータウン誌が大抵発行されている。西湖で有名な杭州市で何気なく見た『杭州ナビ』にサークル紹介されていたのが「互人多」だった。
「互人多」は中国語で英語の発音に近い「フレンド」と読む。上海にある日本人によるボランティアグループで、中国の経済困難区の子供たちがよりよい環境で教育を受けられることを目的として杭州支部も立ち上げている。杭州滞在の合間をみて定例会をのぞいてみたところ、突然の訪問にもかかわらず優しく迎えてもらった。
この10年間でチャリティバザーでの収益や寄付金を募り、3校の小学校を建設するなど頑張っておられる。写真は3校目の落成式典だ。杭州支部の定例会場ソフトウエア会社の一室が無償提供されている。社長は久留米大学大学院に留学し、帰国後、起業した中国の青年である。このような方たちに支えられて活動が行われている。異国の中国の地で日本人が手をつなぎ、中国の子供たちを支援している姿にいたく感動して帰ってきた。日本でなにか手伝いができないものかと、応援のボランティアグループの立ち上げを今準備しているところである。 与田秀機 |
SUPER
CITY CHINA ビジネス 2007年7月号
今月の「この人に聞く」 中国の子どもたちのために 力強い母の願い
「中国の貧しい地域の子供たちが、よりよい環境の中で教育を受けられるように。」その思いから「お母さん」5人で結成され、今年で10周年を迎えた「互人多」。結成当初からのメンバーの進士さんの言葉は優しく、そして力強い。
きっかけは上海日本人学校の父母会。父母会の副会長だった竹村恭子さんほか4名の母親が、「中国の子どもたちの未来のために何かできないか。」と集まった。そうして1997年に始まった「互人多」(フレンド)も今年で10年目を迎える。
いざ活動を始めるとなってもすべて手探り。数々の苦労もあったが、記念すべき第1回のフリーマーケットは無事開催することができた。たくさんの人の協力でフリーマーケットは大成功。約2万元が集まった。それを中国政府の希望工程を通して失学児童の援助に充てることに。当時、貧困地区では400元で一人の小学生が5年間学校に通えた。互人多の希望工程への参加は20人分、8000元の支援からスタートした。
また希望工程では20万元の寄付で任意の名前がついた小学校が建てられる。当時互人多では会員制を取っていて、定期的に報告会をしていたのだが、そのとき「互人多の名がついた小学校を建てたい」という意見が出る。そして2002年、やっと貯まった20万元を希望工程に贈り、広西壮族自治区灌陽県に1校目の「互人多希望小学校」が開校した。
05年には文化交流を目的に、2校目の互人多希望小学校である青海省の学校を実際に訪れるスタディツアーを開催。この地域にはもともと学校がなく、小学校ができたことをきっかけに地域の人たちの意識が変わり、「教育は大事なこと、必要なもの」だと思われるようになったという。また地域の人たちが小学校だけではなく、学校周辺を「互人多」と呼んでいることを知り、感激した。
互人多は駐在員家庭が多いため、日本帰任にともないメンバーが変わってしまうことがある。けれどつねに目的は同じ。「中国の子どもたちのために何かしたい」ということだ。イベントは事務局員がみなそれぞれ得意分野を企画する。料理が上手な人を知っていたメンバーがいたときは、年に何回も料理教室が開かれた。そのときいる人によってイベント内容が変わる柔軟性も互人多の魅力、長く続く秘訣だ。「けれど私も、何がよくてここまで続いているのか分からないんです」と進士さんは謙遜するが、温かいまなざしとやわらかな口調が続いてきた理由を物語っている。「自分の力だけでやろうとせず、まわりの協力を素直に受けとる」のが大事だという。
実はイベントで集められるお金はわずかなもの。去年の収益15万元のうち、7万元が寄付によるものだ。ゴルフコンペを開催するときに、賞品を買わず集まったお金を互人多に寄付する企業もあるのだとか。またホームページを開設したことで、日本にいる人からも寄付をしたいと申し出が出るようになった。日本人はまだまだ「ボランティア」は得意ではないけれど、だんだん協力してくれる人が増えてきたと、進士さんはうれしそうに笑う。
補修が必要な危険家屋の校舎を使用する小学校は、まだ数多く存在する。互人多は今後もそのために積み立てを続けていくという。けれど、「必要に合わせて柔軟に対応していきたい。何が絶対に正しくて、何が絶対に間違っているかなんてわからない。だからこそ今できることを精一杯やりたいんです」と進士さんは語る。
「目の前に困っている人がいたら、手を差し伸べられるように」。優しさという強さを持つ「母」の姿を見て育った子どもたちは、きっと今後の日中、そして世界のために活躍してくれることだろう。

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杭州ナビ 2007年 7月号
杭州サークル紹介 互人多(フレンド)
互人多(フレンド)は、中国の経済困難地区の子供たちが、よりよい環境の中で教育を受けられることを目的としたボランティアグループで、1997年にスタート。その後会費や寄付金を募り、収益金を積み立てて、「希望工程」を通じ寄付してきた。過去、広西壮族自治区の灌陽県、青海省の同徳県に「互人多小学校」を建設している。互人多HP http://www.wna.jp/friend/
互人多杭州支部は、2003年頃、ユンさんが上海の互人多の趣旨に賛同し、杭州でも活動を開始。ところが当時、SARSの影響で日本人駐在員の数が激減したため、本格的な活動は、その翌年から開始になった。
活動内容は、月に一度、第3木曜日に会員が集まり、ビーズ講座やチャリティーバザー、パッチワーク講座を開催している。現在会費は50元で、全額が寄付に回されている。
互人多では、開催して欲しいイベントや講座、特技をお持ちの講師ボランティアも募集中。また、イベントの準備などを行う事務局スタッフを募集しており、下半期にはバザーを予定している。
連絡先
≪杭州≫ 139-5819-0033 ユン
≪上海≫ 021-6275-5411 進士薫 
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毎日新聞 全国版…2007年5月23日
中国貧困地区で教育支援
中国の貧困地区で暮らす子供たちの教育を支援する上海の日本人ボランティアグループ「互人多」が創立10周年を迎えた。布切れを再利用した手作り品のバザーやチャリティーコンサートなどの活動で寄付を募り、3校目の小学校建設にこぎつけた。
「学校を建てられるなんて、初めは思いもしなかった」。代表を務める進士薫さん(48)は、上海在住の子供を持つ母親5人で「中国の役に立つことを」と、フレンドを結成した日を振り返る。
中国で89年に始まった教育支援プロジェクト「希望工程」を通じ、学校のなかった広西チワン族自治区と青海省の村に20万元(約310万円)で小学校を建設した。今年8月に甘粛省で3校目が完成する。
いずれも少数民族の居住区で、上海とは大きな経済格差がある。小学校の建設は地域の人々に教育の大切さを改めて認識させるだけでなく、街を活性化するという。
急速な経済成長を続ける中国社会の変化は速い。進士さんは「どんな教育の支援が必要とされているか、確かめながら活動を続けたい。」と話す。
支援協力などの問い合わせは、http://www.wna.jp/friend/ 【大谷麻由美】

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genkimamaの上海活動(サークル)紹介
互人多(フレンド)
今から10年前、経済的な理由などで学校に行けない中国のこども達を支援しようと、上海在住日本人主婦5人がボランティアグループを結成しました。名前はフレンド、中国語の発音を当てた漢字で『互人多』と書きます。
以来、バザー、コンサート、各種文化講座イベントを定期的に開催し、活動の輪を広げています。収益は主に中国の希望工程を通じて学校補修・建設・教師研修、奨学金給付に用いられ、一部は抗SARS支援などの緊急支援にも充てられました。すでに、広西壮族自治区と青海省に小学校を建設、雲南省の学校5校の補修を行っています。
互人多はユニークなイベントを企画・実施しています。
その一つはチャリティコンサート。年に2回行うコンサートは参加型、音楽を使う演目なら誰でも参加できるというものです。夏のこどもコンサートは日頃のおけいこの成果を発表する場として定着、毎年たくさんのこども達が参加しています。冬のクリスマスコンサートは主婦が中心となって、クラシック、ポピュラー、ダンスの他に中国楽器も登場、毎年多彩な演目で盛り上がります。
チャリティバザーも同様に参加型です。毎年恒例の古本市の他に、寄せられた和布を使ってチャリティグッズを作り、販売しています。グッズを作るのもボランティア。主婦たちが「好きな手芸を通じて支援ができるのなら」と集まって『互人多手作りの会』も発足、アイデアあふれたグッズが次々と生まれています。
現地の人々と交流するプログラムもあります。一昨年夏に実施されたスタディツアー。こども達(6歳から18歳)も参加したこのツアーでは、互人多の支援によって建てられた青海省にある学校を訪問、日本の歌や遊びを紹介して交流したり、ホームステイをして現地の人々の生活を体験したりしました。参加したこども達は青海の大自然の中で、日常生活との差に戸惑いながらも、人々の生活を肌で感じ、多くを学びました。
互人多事務局を運営するスタッフ(現在15人)の多くは上海の日本人駐在員の家族(主婦)です。したがって、2~3年のサイクルでスタッフも入れ替わります。にもかかわらず10年間活動が継続できたのは、上海に住む日本人の方々の活動へのご理解・そしてご協力の賜物といえるでしょう。スタッフの他に、イベント時に協力してくれるサポーターが約20名、メルマガ会員は300人近く、さらに多くの企業も活動に賛同・協力してくれています。大勢の人々の善意の上に互人多の活動は成り立っています。
広い中国、支援を必要としているこども達はまだまだたくさんいます。今年は積み立てた収益金20万元によっていよいよ3校目の学校建設が実現します。地道に続けてきた活動がまた実を結びます。互人多は今までの温かい支援に感謝するとともに、今後も肩肘張らない支援・活動の輪を広げていきたいと願っています。

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インターナショナルフェア
-日本婦女志願支援団体”互人多”-
9月22日(金)~24日(日)遵義路100号虹橋上海城(パークソン)広場でアジア文化交流イベントが行われました。
アジアの歌や伝統文化等が紹介されるなか、互人多の活動がパネル展示されました。
多くの方が足を止め、パネルを熱心にごらんになっていました。
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ジャピオン 第056号 2005年7月8日 上海サークル事情
-日本人ボランティアの会 互人多(Friend)-子供たちの未来を支えるひとりひとりの小さな力
経済的な理由などで学校に行けない中国の子供たちに、教育に関する支援を行っている日本人のボランティアグループがある。名前はフレンド、中国語の発音を当てた漢字で「互人多」と書く。日本人学校でPTA役員だった主婦5人が中心となり、97年に発足した。参加者数は年々増え、今では事務局メンバー13人を含むメールマガジン会員150人、寄付やイベントごとに不定期な形で参加している人も多い。
収益はガレージセールや古本市などのバザー、毎年開催されるこどもコンサートとクリスマスコンサート、各種文化講座イベント、寄付金などから得ている。それらは全て中国の「希望工程」を通して、学校建設などの資金として寄付される。希望工程とは、農村貧困地区の教育条件を改善し、失学児童の援助を目的とした、中国青少年発展基金による教育支援プロジェクトだ。
校舎一校建てるためには、寄付金約20万元が必要になる。同会ではこれまでに、広西壮族自治区灌陽県と青海省同徳県に小学校各一校を建設。基本的に寄付をして建てた学校には、その後、希望工程の意向によりなるべく関わらないようなスタンスをとっている。次に支援を待つ子ども達が多く存在するし、なによりもきちんとした距離を置くことが大切だからだ。
しかし、これまでに全く問題がなかったというわけではない。「二つ目の学校を建てた時、きりもよいので活動を停止しようかという話もでました。」とメンバーたちは言う。その中心を駐在員の主婦で占めるため、帰国という問題が立ちはだかるからだ。そこで、今いるメンバーが上海を離れても、次に来る人たちへスムーズにバトンを繋げるようにと、今年3月から事務局を再編成した。
先日開かれた事務局メンバーによる定例会で、当面の目標として3校目の校舎を建てることが決定した。ボランティアの幅はこれから益々広がっていくだろう。メンバーの1人1人が、ボランティアの定義である「自発性」と「無償制」を心に持ち続けるうちは。
フレンドを通じてのボランティア活動は、大きく分けて3つに分類される。企画や運営に関わりたい人は、事務局メンバーに。活動内容やイベント情報などの情報を知りたい人は、メールマガジン会員に。その他、寄付や不定期な形で参加することもできる。また、個人で直接、希望工程へ寄付をすることも可能だ。とりあえず、自分ができることから始めてみるのも良いかもしれない。詳細はhttp://www.wna.jp/friend/
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中国ほのぼのスケッチ ~こどものいる風景⑤~ 大橋敦子
学校へ行きたい! ~互人多の活動~
180万人。いったい何の数字でしょう。実はこれ、現在中国全土で教育を受けていない、6~14歳の子供の数なのです。
中国でも義務教育は6歳から始まるので、日本でいえば小学校、中学校に通っていないこどもが180万人いるということになります。13億人といわれる中国の人口の中で、この180万人がどのような意味を持つのか、正直私にはピンときません。
受験させるかさせないか、どの幼稚園?どの学校?という悩みはあっても、教育そのものをまったく受けられないという悩みは、あまりにも普段の自分の世界とかけ離れているような気がするからです。
去る7月3日、上海のとある場所で恒例のこどもコンサートが開催されました。歌ありピアノ演奏あり、こども達が思い思いのパフォーマンスを繰り広げ、親子共に楽しめるイベントとして今年も大成功を収めました。
主催者は「互人多」というボランティアグループ。メンバーのほとんどが上海に住む日本人主婦で、今回の収益金は全て中国の失学児童(経済的理由で教育を受けることができないこども)のために使われることになっています。
7年前のこと、上海日本人学校のPTAで知り合った母親5人が中心となり、小さな小さなボランティアグループが生まれました。
「ただ楽しく暮らすだけでなく、中国のこども達のために何かをしたい」そんな気持ちが実を結んだ結果でした。誰かのために何かをしたい。そんな気持ちを抱いている人は、たぶん世の中にたくさんいるでしょう。そして実際に実行している人もいれば、そうは思っても自分の事で精一杯の人もまたたくさんいるはず。
互人多、じつはこの字、中国語読みにすると英語の(フレンド)とほぼ同音になるんです。人と人がお互いに助け合い、それが大きな力となる。そんな思いが伝わってきませんか?これは私の想像ですが、フレンドの結成には、気持ちの強さはもちろんのこと、中国で暮らすという特別な環境が与えた力も、きっとまた大きかったのではないかと思います。
その頃の上海はどんな様子だったのでしょう?「まだまだ建設中の、瓦礫の山のような場所がたくさんあって、そこに働きに来ている人たちももっと貧しい感じで、数ヶ月お風呂に入ってないんじゃないかというこどもがふらふらしていましたね。
でも、ちょっと郊外に出ると蒸気機関車が走っていて、一面の菜の花がとてもきれいでした。」当初からのメンバーの一人Sさんは、こんなふうにふり返ります。
上海を代表とする発展著しい沿岸部と、年間年収わずか800元(約1万2千円)という内陸部の貧困地域。こどもを小学校に上げるための費用を捻出するのに、豚を売らなければならない家庭、家の仕事のため学校へ行けない子、一旦入学しても経済的事情で学校を辞めなければならない子…。
ありきたりな言い方ですが、「人は生まれてくる場所を選ぶことができないんだよね。」この原稿を書きながら、毎朝「ママ~今日学校に何着て行ったらいいと思う?」「何でもいいから早く支度しなさい!昨日はピアノの練習したの?」などという会話を繰り返している我家の光景を、ふと思い浮かべる私でした。
さて、互人多の最初の資金は500元(約7千500円)。最初に行ったのはガレージセールでした。その後ボウリング大会、料理教室にビーズ教室、クリスマスコンサートにバザー、フリマ、古本市等等その活動内容は当初から多彩でパワフル。もちろん支援内容も、ガレージセールの収益金の一部で失学児童一対一支援20人分の寄付をしたのをはじめとして、ノートや教科書の寄付などを行いつつ、2002年にはついに広西壮族自治区に「互人多希望小学校」を、ついで2003年には青海省同徳県にも小学校を建設するに至ります。それと同時に知名度も徐々に上がり、賛同者も増えていきました。現在のメンバー数は事務局16名、発行しているメールマガジン会員はなんと150名にも。
「多くの人たちの力で一つ一つの実績が積み重ねられていく様子は、ピラミッドのような個人にはない底力を感じます。(メンバー)」最初から肩肘はらず、できることから始めていく姿勢。そしてそれを大勢の人間が支え合いながら、とにかく継続していくということ。これはきっと企業にはできない技なんじゃないか、そんな風に感じました。
また1999年にはこんなこともありました。「浜北市の浜北中学生徒会の皆さんから、ノート一箱分の寄付をいただきました。日本と中国のこども達が、こんなふうにお互いを知って交流を深めることができれば嬉しいですね。ノートは安徽省の二つの小学校に届けられました。」
互人多の寄付により建設された二つの「互人多希望小学校」では、現在それぞれ200名以上の児童が学校に通い、教育を受けています。「(こうした活動を通じて)専業主婦でも力を合わせればなんでもできるんだ、という自信が生まれましたね。(メンバー)」ボランティアというのは決して一方的な流れではなく、巡り巡って何かが自分の元へ帰ってくる。そういうものかもしれません。
最後に。実は互人多の支援活動は、全て「希望工程」という中国の援助機関を通して行っています。「希望工程」、私も何度か耳にした名前なのですが、具体的にはどんな機関なのでしょう。次回はこの「希望工程」についてご紹介したいと思います。

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太太だからこそできること―「互人多」(Friend)
互人多(friend)--中国の経済困難区の子供たちがより良い環境の中で、教育を受けられることを目的としたボランティアグループである。
1997年に発足後は、ほとんどが太太さんというメンバー構成上、自分たちは太太だから子供たちのためになることをしたいと試行錯誤の中で始めた互人多も今年で8年目。現在も精力的にその活動の幅を広げつつあるグループである。
試行錯誤の中で・・・「互人多」始動!
1997年に互人多が発足したばかりの頃は本当に何をしていいのかわかりませんでした」。と活動を決意した草創期のメンバー5名の内の1人である三宅真理さんはそう語る。
はじめは他のボランティア団体にいろいろ相談してみるなどしたが、何はともあれとにかく寄付金を集めよう!と初めてのガレージセールを開催。上海に長く住んでいれば自然と不要な物が出てくるというもので、売り物は古着、雑貨、おもちゃなど。結果、飛ぶように売れ、第1回目にしてなんと売上げ総額1万8千元を記録する。その内8千元を失学児童のために寄付、残り1万元は学校建設のための積立金とした。
お客さんは予想外に中国人が半分以上を占め、驚いたのと同時に、今まで日本人太太として上海に住みながら、地元の人たちとの触れあいがほとんどない生活環境にいたため、中国人と接する機会を得ることができたことに喜びを感じたのだという。第2回、3回のセールも順調に売上げを伸ばし、中国人のアイさんたちにも好評で「次のセールはいつ?」と催促を受けることもあるのだとか。しかしもちろん苦労がない訳ではなく、人集めのためにギリギリまで駆けずり回ることも。現在は年に1回、多くて2回というスタンスで開催している。
子供たちの笑顔のために
ガレージセール以外にチャリティコンサート、手芸講座や講演会などのイベントを開催し、収益をすべて希望工程という、中国青少年発展基金の社会公益事業団体を通して寄付しているという互人多。そしてついに2002年4月、広西壮族自治区に「灌陽県互人多希望小学校」を、2003年10月には青海省に「同徳県互人多希望小学校」を建てることができた(学校建設には20万元かかる)。都合のついた数名の互人多のメンバーたちは、青海省の学校の竣工式に、旅費などをすべて自費で上海から赴いた。彼女たちを待っていたのは、きちんと正装した80名の今度、初めて学校に通うことになったチベット族の子供たちの笑顔だった。彼らのギター演奏や、大量の料理のもてなしで、大歓迎を受けたメンバーたちは「彼らの気持ちが伝わってきてうれしかった」と当時を振り返る。80名の中には12歳位の大きい子供の姿もある。なにしろこの地域に学校が建てられたのは初めてのことで、彼らもこれから小さい子供たちに混じり、勉強を始めることになるのだ。林さんは、「中国にはまだまだ学校がない地域がたくさんあるということを知っていただきたいです。この2校の学校を建てられたことに関しては、日本人が中国の奥地に対して貢献する活動に意義があると感じています。他の誰が知らなくても、この地域の人々の心の中に、上海にいる日本人たちが建てた学校がある、と知ってくれているだけでいいと思うんですよ」と語る。
太太にしかできないこと
学校建設以外では、抗SARS支援として上海市紅十字会に6万元、これまで建てた2校の教師4名に上海で研修を受けてもらうための教師研修資金1万2千元を寄付しているが、
これはあくまで代表的なもの。互人多は月に1度メルマガを発信していて、 登録者は現在およそ200名にもなる勢いだ。
前出の三宅さんは「私は1度上海を離れてまた戻ってきたクチなんですが、ささいなきっかけで始まった互人多が学校を2つも建てることができるようになったなんて驚きです。
主婦の力は侮れないって思いました」と笑う。
「互人多はメンバーもやり方も、いろいろ変わりましたが、ここまで来れたのは継続は力なり、ということだと思います」とは互人多の前代表者で、
商工クラブのボランティア部にも所属する進士さん。入ったばかりのあるメンバーは「もう12年もいて、遊ぶところも、ご飯を食べるところも決まっている。
私は中国に来て一体何をしてるんだろう、と思案しているときにこの互人多を知り、微力ながらも何かできればと思って」、
「自分がここにいる意味を見つけられたら・・・。以前からのメンバーである友人の姿を見て参加を決意しました」と活動している姿に影響を受けたメンバーもいる。
上海に暮らす日本人の太太として美味しいものを食べて、習い事をして遊んでるだけでは・・・、という思いから一念発起し、活動に参加する人も多い。
彼女たちがよく言うのが「私たちは太太だしなんの力もない・・・」という言葉。けれども太太だからこそ、太太にしかできない慈愛に満ちた活動ができるのではないか、
と取材を通してそう感じた。

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SHANGHAI
WALKER…2003年12月
青海省同徳県に「互人多希望小学」完成!
「互人多(フレンド)」は経済困難区の子供達がよりよい環境のなかで教育を受けられることを目的とした、ボランティアグループ。おもなメンバーは在上海駐在員の家族達だ。
会員の寄付と支援により、去る10月22日、青海省同徳県に二校目の「互人多希望小学」が竣工した。
ここはチベット族の自治州で、同校の教師は5人、生徒は80人ほど。周囲では放牧された羊やヤクがのんびりと草を食んでいる。子供達の年齢にばらつきがあるが、今まで現地に学校がなかったため全員が一年生だ。竣工式に参加した「互人多」会員4名は字持つの人たちから暖かい歓待を受けた。
会員が地道な活動でえた収益金で完成した「互人多希望小学」は草の根の人たちの協力が決して小さくはないことを実感させてくれる証といえるだろう。
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新民晩報より簡略
2002年12月1日
『日本人‘太太’と‘希望工程’』
11月の29・30日の二日間にわたり、福州路黄浦大厦で行われた展覧会。この書画交流展は中日交流正常化三十周年を記念し、上海水郷書画研究所と日本の‘互人多’主催、上海対外文化交流協会と上海日本総領事館協賛によって行われた。
‘互人多’のメンバーは全て日本女性。(HP 編集者注:実際には中国人女性も含まれます。)中国の希望工程と密接な関係がある。現在のところ、希望工程と活動を共にする外国人夫人グループは‘互人多’の一団体のみ。1997年発足以来今日まで、既に50.8万人民元を上海希望工程事務局に寄付し、小学生二十名の学費と少数民族地域五ヶ所の小学校校舎改修費用に充てられた。さらに二ヶ所の希望小学校を新設し、その一校では既に授業が始められている。つまり、今回の書画展も‘互人多’が主催する募金活動の一環だったのだ。
‘互人多’この名前に込められた意味
1997年、上海駐在の日本人主婦たちが上海で会を設立し、駐在員家族と共に、ある活動を展開しようと考えていた。会の名前は‘互人多’。この名前に込められた意味-それは英語のFRIENDを音訳し、日本人と中国人が友達になれるようにと言う思いを込めて。また、もう一つには‘相互’に助け合う‘人’が‘多く’なっていきますように、と言う思いを込めて。名前は一つの記号に過ぎないが、気持ちこそが大切。彼女たちは中国人との関係をこのように考えていた。「何かの縁で中国に来て、中国の方に良くしてもらっているのだから、そのお返しを…」と言う気持ちがあった。
だが、いざ何かをしようとしても、何をして良いかわからない。方向性を見つけられずにいたちょうどその頃、子供たちを通わせていた日本人学校で、お手製のノートを作って希望工程の失学児童に贈るという活動を行っていることを知った。これを機に「貧しさのために学校に通えない子供たちに学校生活を取り戻してあげたい。」と、彼女たち母親の心は一気に中国貧困地域の学校に通えない児童たちに向かっていった。こうして‘互人多’の活動は方向性を定めたのだ。
最初の一歩 積極的な行動
さて、これからどのように活動していくべきか。彼女たちの頭の中には既に一つの案があった。‘バザー’である。しかし、難題にぶつかる。バザーを行う古北新区万科広場の管理会社が‘保証人’を要求してきたのだ。純粋な民間ボランティア団体であるため、身分を証明するものが何も無かった。困った彼女たちは希望工程事務局を訪ねることにした。希望工程に事情を話すと、まだ一円の寄付もしていないのに保証人になってくれるという。この時できた信頼関係がその後の活動を続けていく自信を持つきっかけになった、と彼女たちは言う。この第一回バザーは1997年6月に行われた。上海に住む日本人が不用品を提供し、それを‘互人多’が整理して販売した。多くの日本人がこの活動に参加した。この一回目のバザーでは8,000人民元が集まり、ちょうど貧困地区の子供二十人が五年間学校に通える費用だった。すぐに手続きをして二十人の子供たちと‘授業料援助カード’を交わした。この二十名の生徒は全て安徽省岳西県菖蒲鎮雲山小学校の生徒である。その生徒たちも今では無事卒業していることであろう。
広がるネットワーク 確かな成果
‘互人多’のネットワークはどんどん広がっていく。新しくメンバーとなった主婦らが熱心かつ次々に希望工程を周囲に宣伝していくからだ。大多数のメンバーは‘互人多’が主催するバザーなどの活動がきっかけで、正式な会員となっていく。一見気軽に見えるこうした活動の背景に、厳しい貧困の現実があることを知るのはそれjからのことだ。
募金は毎回の活動ごとに少しずつ増えていき、雪だるまが転がりながら大きくなっていくように確かな形をもって現れてくる。第一回のバザーで8,000人民元を寄付した後も、‘互人多’はチャリティーコンサートなどで10万人民元の募金を集め、それは雲南省の五ヶ所の倒壊の恐れがある小学校校舎の改築費用に充てられた。2000年、‘互人多’はさらに20万人民元を希望工程に寄付し、広西壮族自治区灌陽県洞井郷に新しく‘希望小学’を建設した。校舎落成後、メンバー達は竣工式に招かれることになった。
広西への旅 温かいもてなし 思わぬ収穫
2001年春、‘互人多’は広西壮族自治区灌陽県政府の要請を受け、小学校竣工記念式典に参加した。当地政府の負担を考慮し、四人のメンバーと二人の児童が‘互人多’を代表して出席することになった。
灌陽県は山間地域のため、桂林から曲がりくねった山道を車で四時間近くも行かなければならない。彼女たちが到着する頃には、既にたくさんの人が集まっていた。学校の手前の橋では子供たちが「早く!早く来て!」と手招きをしている。
当地の温かいもてなしが忘れられない、と参加したメンバーは言う。まだ年端も行かない子供二人が民衆の前でパンツがずり落ちるのも気にせず、懸命に歓迎の踊りを踊ってくれたのだそうだ。そして、今回の広西行きは中国児童の更なる一面を発見する旅となっただけでなく、思わぬ収穫をもたらした。彼女たちが灌陽県に着いた夜の八時過ぎ、子供たちが集団で学校から出てくるのを見かけた。生徒たちが夜の自習を終えて帰るところだったのだ。「中国の小学生たちが夜中まで学校で勉強している。なんて一生懸命なのだろう。」そう思い、感動した。そして、この子供たちに学校を建ててあげられたことがとても誇りに思えたのだった。
メンバーの一人は言う。「活動を始めた頃は、学校を建てられるなんて思いもよりませんでした。私たち主婦一人一人の力は小さくても、みんなで力をあわせれば、こんなにも大きな力になるのですね。中国にも『水滴石を穿つ』と言う諺がありますが、こういう事なのでしょう。この活動によって、私たちの生活観も変わりました。私たちが何もせず、上海で楽しく遊び暮らしても、時間は同じように過ぎて行きます。でも、ちょっとした『何か』をするだけで、大きな成果を得ることができるのです。」
未来-誤解と理解
2002年、‘互人多’はさらに20万元を希望工程に寄付し、青海省同徳県に二校目となる小学校建設に取り組んでいる。校舎は現在建設中。いずれにしても五年間で50.8万人民元を集めるとは、非常にすばらしい功績である。
上海希望工程事務局員は言う。「彼女たちはリレーのバトンを引き継ぐかのように、一人一人と繋いでいくのです。最初の五人のメンバーのうち二人が帰国しましたが、日本でも引き続き希望工程の活動を宣伝してくれています。上海に来る日本人がこれからもたくさん‘互人多’の活動に参加してくれるといいですね。」
今年九月現在、‘互人多’の会員数は百七十二名。‘互人多’は今日まで比較的順調に発展を続けてきたが、メンバーたちはいつも悩みを抱えている。希望工程事務局員は言う。「初めの頃、彼女たちの活動は人々に理解されませんでした。日本人の中にも、中国はお金持ちの国なのだから、募金活動は必要ないという人がいたり、またある時は、海外のメディアに誤った報道をされ、募金のお金を流用するのではと誤解を受けたりもしたようです。でも、彼女たちの五年間の努力を知れば、このような誤解もいずれは消えてなくなるでしょう。」と。
メンバーの一人は言う。「‘ボランティア’意識を強く持っている日本人はあまり多くありません。‘互人多’も魅力的な活動のできる場所ですが、今の上海にはほかにも魅力的な面白い場所が多くなってきたので、メンバーになってくれる人が減ってしまうのではないかと心配しています。でも、誠意を持ってやっていきます。これからもよりよい活動が出来ると信じています。」
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誠成物業管理公司報より簡略 2002年11月
いつくしみ溢れる羅馬 羅馬花園「互人多」ガレージセール
以前羅馬花園で行われたガレージセール(HP編集者注:5月24日の古本市のこと)の成功に続き、2002年10月12日、再度羅馬花園に於いて「互人多」ガレージセールが行われた。これは古北新区に住む日本人の主婦らが企画したもので、この地区の住民の熱い反応があった。
今回は二度目の類似の催しではあったが、前回の成功が大きな呼びかけとなり、開始時間30分前の広場にはこのガレージセールのために手に手にバッグを携えた各国人の長い行列が出来ていた。午後2時、会場は瞬く間に人で溢れ、品物を売り買いする熱気で沸き立った。店仕舞いが近くなった時刻にも依然として多数の入場者があったが、彼らはただ単に自分の好きなものを購入しているのではなく、重要なのは、貧困にあえぐ子供たちも本来享受するべき権利を受けられるよう、彼らも支援に協力しているという点である。大変なのはこれらの催しを企画する日本人主婦らで、彼女たちは何の見返りも求めず、自発的に計画を立てて自分たちで実行しているのだが、彼女らの笑みに満ちた顔には、これで満足しているのだという様子が見て取れる。
催しの終了後、彼女らの話からわかったことだが、古北新区には貧困家庭の子供たちのためにボランティアをしている人たちがまだまだ多くいるとのこと。このような動きを広めていくよう、彼女らはさらに大きい規模の活動に取り組んでおり、助けを必要とする人々のための力に充てていこうとしている。
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SHANGHAI WALKER 2002年6月
互人多希望小学完成
1997年より活動を続けてきたボランティアグループ「互人多」(FRIEND)が希望工程を通じて寄付した建設資金により広西壮族自治区灌陽県洞井に「灌陽県互人多希望小学」が3月に完成し、4月11日に竣工式が行われた。「互人多」からは4名が参加し、子供達の歌や踊りで大歓迎を受けた。完成したのは、3階建6教室の白い校舎。ここの生徒は260名余の主に瑶族の子供達で、多くの子供は家が遠い為、寮に寝泊りして勉強をしている。
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PEOPLE'S
CHINA 2001年3月
日本人ボランティア組織「互人多」 「同じ子を持つ母親として、中国の子供たちを支援していきたい」
縁あって中国という地にいるのだから、何か中国に役立つことをしたい――。
そんな思いから、上海でボランティア活動を行う日本人グループがある。「互人多」と書いて、フレンドと読む。中国語の発音を当て字にしている。一九九七年四月、上海日本人学校のPTA活動で知り合った女性五人が集まって始めた。
「一時的なものではなく、継続的にできるものはないかと考えました。でも当初は、一体何をしたらいいのか、何ができるのか、全然分かりませんでした。いろいろと調べるうちに、私たち自身が子供を中国で育てていますから、やはり子供が一番大事という結論に達し、『希望工程』を通じて、中国の子供たちの支援をしていくことに決めました」 そう、「互人多」事務局メンバーの進士薫さんは振り返る。
「希望工程」は、中国が一九八九年から全国的に展開している民間教育支援プロジェクトで、経済的理由から学校に行けない子供たちへの支援や貧困地区への学校建設などに取り組んでいる。
手作りの活動を続けていきたい
グループを結成して二カ月後、ガレージセールを行う。趣旨を伝えると、上海在住の日本人から本や衣類などが寄せられ、一万八千元(一元=約十四円)の収益金が上がった。引き続き、チャリティのボウリング大会やテニス大会などを企画。活動を始めて一年で八万元の資金が集まると、上海希望工程弁公室と相談したうえで、雲南省昆明市郊外にある四校に校舎修復費として寄付した。一校あたり二万元あれば、老朽化が激しく倒壊の危険のある校舎を改築できるのだという。
やがてグループ内には、「資金集めに時間がかかったとしても新しい学校一校を建設するほうがいいのではないか」という意見が高まっていく。一校の建設費用二十万元を集めることが、「互人多」の新たな目標となった。
二十万元は日本円で三百万円近い。これをすべて手作りの活動の中から生み出していくのは、簡単な事ではない。彼女たちの活動を評価する中国人から、「上海の日系企業から寄付してもらえば、すぐに資金は集まるのでは」と言われた事もあるという。
「企業から寄付を募れば、お金はもっと簡単に集められると思いますが、それでは私たちが手作りで行っている活動の意味が無くなってしまうと思うのです」(同事務局・結城玲美さん)
二十万元達成! 待ち望む新校舎建設
五人から始まったグループは、二〇〇〇年末現在で会員は約百六十人にまで輪が広がった。グループの基本方針は、「やれる人がやれることをやる」「無理のない活動」。だから、一カ月十元の会費を納入するだけでもいいし、会員ではないが行事があれば協力を申し出てくれる人もいる。
事務局にたずさわっているからと言って、こうしなければいけないという義務もない。一人一人の自主性に任されているのだ。
上海の前は、ボランティアが根付いている米国に住んでいたMさんは、「自分ができるだけのお手伝いができる、というのがいいですね」と話す。核のメンバーになって三年近くになるSさんも、「雰囲気が堅苦しくないんです。中国の役に立ちながら、私自身にもお友達ができるし、自分の知らないことも学べる」と楽しそうだ。
ほとんどが駐在員である夫の帯同で来た女性で、三~五年のサイクルで上海を離れていく。人が入れ替わりながらも活動が続いている秘訣は、この柔軟性なのかもしれない。
彼女たちの柔軟性は、イベントの企画にもいかんなく発揮されている。美容講習会から始まって、フィンランド、タイ、メキシコなどの各国料理教室や手芸講座…。そのほか、絵画鑑賞会や中国アンティーク家具の基礎知識を学ぶ講座など、バラエティに富んでいる。
自分たちのネットワークをフルに活用して講師を招く。たとえば料理教室なら、他国の駐在員夫人を講師にその国の本場の料理を教えてもらう。会員の中には語学堪能な人もいるので、さっと通訳を買って出てくれる。適材適所にうまく回っている。
また、年各二回行うチャリティコンサートや古本市は、会員以外の在住日本人からも心待ちにされるイベントだ。日本の古本屋よりも安く手に入るとあって、古本市は毎回人いきれがする。コンサートも、日頃から木蘭拳や二胡、フラダンス、コーラスといったサークル活動に参加している人たちにとっては、またとない発表の場となっているようだ。
ボランティア活動を通して、友達の輪を広げ、戸惑うことの多い海外生活も楽しんでしまおうという「互人多」のメンバーたち。目標だった二十万元も達成し、「互人多」と名のついた新校舎が建つ日を待っている。
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申江服務導報から簡略 1998年7月15日
寄付金2万元で雲南省に建設援助
互人多と希望工程の結び付き
上海在住の日本人女性グループ「互人多」が会員に呼びかけ、「互人多」にとって5校目となる「希望小学」の建設援助を行った。
5月下旬のある日、上海の「婦人部会」100名余りの会員が花園飯店に集まり、日本情緒溢れる2階の大ホールにて名古屋「狂言共同社」の鑑賞会を催した。ホール入口には募金箱を手にした婦人を含む6名が一列に並び、微笑を浮かべて鑑賞会にやって来た会員一人一人を出迎えた。会員たちは募金箱に日本語で「経済困難地区に住む中国児童に愛の手を」と書かれた文字を見て、次々と財布の紐を解いた。募金活動をしている6名はそのたびに丁寧にお辞儀を返し、感謝の意を表していた。
この6名は日本企業駐在員の妻であり、「希望工程」のための活動に熱心になっている「互人多」の中心人物である。
昨年春、上海日本人学校の5名の生徒の母親が自発的に「互人多」と名づけられたグループを立ち上げ、中国の「希望工程」の一助となっている。
彼女たちの資金集めの方法は独特である。「互人多」の5名の発起人(後に1名増)及び5,60名になった会員(大部分が日本女性)は上海の日本人社会に目に見えない情報網を持ち、同胞たちに彼女たちの活動を広めている。帰国が決まった日本人たちは長い中国駐在中に、学校に行けない中国の子供たちに同情を抱き、帰国時、ガレージセールを開いてその売上げを「互人多」に寄付、または日本に持ち帰らない家具・衣服・靴・玩具・食器・文房具・本・雑誌・日用品などを資金集めとなるチャリティーバザーの商品として「互人多」に渡していく。そのほかにも「希望工程」に賛同して、不要となった衣服・本・玩具などの品々をバザー用として「互人多」に提供する日本人家庭もある。
ここ一年で「互人多」は2回のバザーを開催し、8万元を積立てた。彼女たちは上海市の「希望工程弁公室」と相談の結果、この8万元を雲南省のタイ族郷など4ヶ所の少数民族の住む危険校舎改築に充てることにした。――『よろしくお願いいたします!』と彼女たちは「希望工程弁公室」の職員に頭を下げた。
最近「互人多」は更にまた1回バザーを行い、積立てた資金2万元で雲南省に希望小学の建設援助をした。
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朝日新聞 1998年2月26日
主婦が支えた「手作り」援助
上海に住む日本人の主婦五人が始めたボランティアグループ「フレンド」の募金活動で、雲南省にある倒壊寸前の四つの小学校が建て直されることになった。「自分たちが安全に住まわせてもらっているこの国のために何かできないか」という思いが多くの共感を呼び、わずか一年足らずで大きな実を結んだ。年末には、日本人の支援に感謝してグループの名を冠した「互人多(フレンド)希望小学校」と校名を変える四校が、これまで日本とは縁のなかった少数民族地域に誕生する。 上海の「フレンド」 4小学校「希望」の改築
夫の転勤に伴い上海で生活するようになった竹村恭子さんら、上海日本人学校の保護者会活動で知り合った五人が、中国の子供たちのために何かできないかと「フレンド」をつくった。昨年四月のことだ。
相談の結果、中国あげての民間教育支援プロジェクトである「希望工程」に協力することにした。行政の手が届かない地域に校舎を贈ったり、親が貧しくて学校に行けない子供に教材費を援助したりする運動だ。
結成二カ月後の昨年六月、初めてのガレージセールを開いた。組織に頼らない口コミだけの活動にもかかわらず、予想を超える協力が寄せられ、一万八千元(一元は約十六円)の収益があった。売り子を買って出る協力者や理解者が次々と現れ、会員も現在では五十人に広がった。チャリティーのテニス大会やボウリング大会も企画した。
合計で八万元あまり集まったことから、「希望工程」の窓口となっている上海市希望工程弁公室と相談した。日系企業のこうした活動は少なくないが「フレンド」のような手作りの活動は貴重なだけに、同室も積極的に協力。同室から雲南省の学校を紹介された。
一万元の資金援助があれば、倒壊の危険のある校舎が改築できるとわかり、推薦された昆明市郊外にある四校に決めた。イ族など少数民族が暮らす貧困地域の小学校だ。
寄せられた学校の資料によると、その中の村立三台坡小学校(四年制で児童七十二人、教員二人)は、「四十数年前に建てられた校舎は壁に亀裂が入り、いつ倒壊してもおかしくない。生命の危険があるため、一部は民家を借りて授業している」とあった。改築費は六万七千元のうち地元で四万七千元を負担し、残る二万元の援助を求めている。他の学校も同様の状況だった。
同室を通じて八万元を寄贈した会員たちは、いまから落成式に出席する日を楽しみにしている。
「フレンド」では今後も募金活動を続ける予定だ。さらに、文房具にも困っている子供たちに使ってもらおうと、会員から提供を受けた不要の紙を生かして手作りのノートを作り始めている。
会員はほとんどが転勤族の主婦だけに、最初のメンバーからすでに帰国者が出てきた。だが、「人が入れ替わっても続けていってほしい。そのためにも無理のない活動を心掛けている」という。
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茨城県上海事務所ホームページ 1997年12月
ガレージセール開催
中国には中国青少年発展基金会が1989年10月に始めた「希望工程」という社会福祉事業があります。中国国内には経済的理由で学校教育が受けられない子供たちが100万人以上いると言われており、希望工程は今世紀末までにこれらの子供たちが義務教育を受けられるようにすることを目標に、学校のない地区に学校を建設したり、貧困家庭の子供たちに書籍代を援助するなどの活動をしています。
上海市に希望工程の支援を目的として活動している互人多(フレンド)というボランティアグループがあります。互人多は上海在住の日本人女性によって1997年4月に結成されました。結成以来ガレージセール、ボーリングやテニスなどのチャリティー大会などの活動を行ってきています。
互人多は去る11月21日(金)と22日(土)の2日間にわたって第2回ガレージセールを開催しました。上海で生活している多くの日本人家庭や日系企業22社から提供された衣類、台所用品、雑貨、書籍類などの商品をバザー形式で販売、売上金を希望工程に寄付するものです。当事務所もこの趣旨に賛同し協力しました。21日は日本人が多く住んでいる虹橋地区の住宅団地内の屋外で行われる予定でしたが、あいにくの雨のため、団地内の集会所で行われ、日本人の主婦を中心に多くの買い物客で賑わっていました。上海では日本の書物は、販売している店が少なく、値段は日本の倍以上と非常に高く、また古本を取り扱っている店もなく、なかなか入手できません。今回のガレージセールでは漫画本、参考書、小説、雑誌など多くの種類の日本の書物が安く販売され、日本人駐在員に大変喜ばれていました。
互人多のメンバーの方々の努力とその活動を支えている人たちの協力によって、今回は前回の倍以上の売り上げとなり大成功とのことでした。中国の恵まれない子供たちを救うために活動している互人多に対する理解者、支援者がこれから益々増えていくことを期待します。
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朝日新聞 1997年6月19日
中国の子ら支援しよう 日本人の女性5人ガレージセール開催
経済的な理由で学校に行けない中国の子供たちに支援の手を差し伸べようと、上海に住む日本人女性五人がボランティアグループを結成した。
会の輪を広げる第一歩として八日に、資金集めのガレージセールを市内で開いた。
いずれは、上海の日本人から貧困地域に学校を一校プレゼントしようと、仲間を募っている。
四月にできたばかりのグループの名前は、フレンド。中国語の発音を当てて漢字で「互人多」と書く。
夫の海外勤務で上海に住むようになった女性らが中心となってつくった。上海での新しい動きだ。
上海の日本人社会に呼び掛けたガレージセールには、本、衣類、乾物、日用雑貨など千点あまりが寄せられ、寄付を合わせて二万元(一元は約十三円)ほどの収益が上がった。
この中から、八千元を上海市希望工程事務所に寄託した。援助を必要とする内陸部に贈られることになる。
「希望工程」というのは、中国が国を挙げて取り組んでいる民間の教育支援プロジェクト。
会のメンバーによると、一人の子供が五年間、学校で学ぶのに必要な金額は四百元。八千元で二十人の教育を支援できることになる。残りは積み立てて、学校建設のための寄付金にする計画だ。
一校建てるのに、地域により五万元から二十万元かかる。
「自分たちが上海を離れても、次に来た人たちが活動を続けていけるようにしたい」とメンバーはいう。

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読売新聞国際アジア版 1997年6月10日
バザーで中国の未就学児童支援上海の日本人女性グループ
中国の未就学児童を支援しようという上海の日本人グループ「互人多」(フレンド、竹村恭子会長)は、このほど上海市内でチャリティー・バザーを開き、会員が持ち寄った古本や衣料品、家電製品、乳母車など約二千点を販売した。
中国では未就学児童が九十五年末現在で約千八百万人いるとされる。
学校を建設したり学費を援助する民間の支援運動「希望工程(プロジェクト)」が展開されており、今回のバザーも、その支援活動の一環として企画された。
売上の二万元(一元は約十四元)は上海市希望工程弁公室に寄託されるほか、学校建設の基金をして積み立てられる。
HP編集者注:会長名は当時のものです。 |